2018年6月3日。「はやぶさ2」がイオンエンジンの往路を完走することができました。
初代「はやぶさ」のときは出発したときから不調のエンジンもあり、たどり着くだけでも四苦八苦していたという状態です。
この初代の教訓を十分に生かすことのできたからこそ、「はやぶさ2」はここまで順調にきたのです。
日本の探査の歴史を知ることで、どのような事を学んでそれを次の探査に生かしてきたかを知ることができます。
これは、素晴らしいテキストでもあるのです。
「はやぶさ2」の成果につなげることのできたのは、日本が過去に打ち上げた探査機で学んだことが全て詰まっているからです。
今回は、「はやぶさ2」が製作するきっかけともなった「はやぶさ」に関する書籍を紹介します。
「はやぶさ」に関する書籍は何冊も発売されています。
それだけでなく、「はやぶさ」が製造されてから、地球に帰還するまでのドラマは、映画にもなりましたね。
それほど、ハラハラドキドキだった旅だったのではないでしょうか?
- 相次ぐ故障、ようやく到着したと思いきや想定外の事態が相次いで発生。
- サンプル採取のための弾丸未発射。
- 帰還途中での一時期行方不明、ラスト4カ月というところでのイオンエンジンの不調・・・。
- もうダメかと思われた発表の後、イオンエンジンの連動して動かせることが判明。
その後のことは、各方面で語り継がれているかと思います。
しかし、これら不調の面がつい表に出がちですが、プロジェクト全体を見ると、大成功と言えるのではないでしょうか。
- イオンエンジンの連続運転。
- イオンエンジンでの加速から地球スイングバイ。
- 電波・光学複合方法の確立。
- 太陽輻射圧による姿勢制御航法(注:イオンエンジンやリアクションホイールとの併用)
などなど。
「はやぶさ2」が順調に小惑星リュウグウに接近できたのも、「はやぶさ」が遺した成果があってこそなのです。
その「はやぶさ」も火星探査機「のぞみ」や工学実験衛星「ひてん」でつちかったノウハウが生かされています。
「ひてん」で培い、「のぞみ」でさらに高めた、スイングバイ技術。
日本のロケットはアメリカやヨーロッパの持っているロケットに比べて推力が弱いものです。
そのため、他の惑星に行くためには、なんらかの加速が必要になってきます。
この加速に使うための方法として、スイングバイが用いられます。
スイングバイは、惑星や衛星の引力を利用して、探査機の加速・減速を行う航法です。
うまく活用すれば、もっとも効率的に加速・減速できる経済的な航法なのです。
ただし、スイングバイを行うためには、地球の公転速度とある程度の速度の差がなければなりません。
(探査機と地球との相対速度が0でないということです。)
この加速に必要な推力は別のもので補うことが必要です。
それがイオンエンジンでの加速です。
イオンエンジンは瞬間の推力はわずかですが、長い時間連続運転することができます。
「塵も積もれば山となる」ということわざがあるように、イオンエンジンを長い時間連続運転させることで、かなりの推力を得ることができるのです。
化学エンジンは、瞬間の推力はかなりありますが、搭載する燃料が非常に重くなるため、探査機に搭載するのは現実的ではありません。
日本の探査機にはイオンエンジンの搭載が必要不可欠なのです。
このような技術が脈々と受け継がれているのです。
また、万一故障した際に、最低限の通信で情報を伝達する「1ビット通信」。
「はやぶさ」が行方不明になったときに用いられたことでも有名ですが、もともとは「のぞみ」が不調に陥ったときに開発された方法です。
宇宙空間にある探査機を直接出向いて修理することは不可能です。
探査機は万一故障しても他のものでカバーできるよう冗長設計がなされています。
しかし、それでも宇宙空間では予期せぬことが起こり、故障につながることもあるのです。
「のぞみ」が不調に陥ったとき、わずかな復帰の可能性を求めて手探りで行った中で見いだした通信です。
こちらからの質問に、Yes・No(電波のON、OFF)のいずれかで答えるというものです。
この方法で、故障の原因を調査することができるのです。
数々の探査機の経験が次の探査機に引き継がれていくことで、日本の探査機は成長していきます。
このような技術や運用についての事情については、はやぶさのプロジェクトマネジャー、すわなち船長である川口淳一郎先生の書いた書籍:
小惑星探査機はやぶさ
「玉手箱」は開かれた
川口淳一郎著
中公新書
をおすすめします。
日本の探査機はどのようにしてでき、どのようにして運用され、そして、どのようにして引き継がれていったのか?
「はやぶさ」というプロジェクトを通じて、日本の探査機の成長ぶりを知ることができます。
そして、「はやぶさ」から学んだ技術が、今リュウグウにいる「はやぶさ2」にどのように受け継がれていったのかを見比べると、さらに成長した日本の探査機を知ることができますよ。